和の色名~黎明の時の色~

niwaishi 和の色名
スポンサーリンク

こんにちは、カラープランナーの かわべ みえ です。

和の色名~はじまりの時~の記事で、
色は生活をあらわすものからはじまり、
祈りの色や識別のために使われたと書きました。

古墳時代までの色は6色でした。
その後どんな色があらわれてくるでしょうか?

スポンサーリンク

弥生時代にさかのぼる?

紅花が日本に伝わったのは飛鳥時代(6世紀末~8世紀初頭)と
言われてきましたが、奈良県纏向遺跡で大量の紅花の黄色花粉が発見され、
これが染色作業によって流し落とされた花粉だとわかりました。

定説よりもなんと300年も前に、
紅染めの技術があったことが証明されました。
※纏向遺跡は弥生時代末期から古墳時代前期にかけての集落遺跡です。
纏向遺跡について詳しくはこちらのサイト様をご参照ください
纏向遺跡ってどんな遺跡?

この発見により、「魏志倭人伝」に記されている、
卑弥呼が魏に贈ったとされる染められた絹は、
茜ではなく紅花の可能性もでてきました。。

beni1

beni2

紅(べに・くれない)

紅花の花びらを干し、
黄の色素を除いて紅色だけで染めた色。
呉(くれ・中国)から伝わった藍という意味の
呉藍(くれのあい)が紅(くれない)に変化しました。

※ややこしいですが、紅は他にもあるので、また詳しく別記事で書きますね。

akaneiro

茜色(あかねいろ)

東京・赤坂の地名の由来は、かつて茜がたくさん栽培され
赤根山と呼ばれ、周りの坂道が赤坂と呼ばれていたことからだそうです。

「あかね」の語源は山野に自生していた蔓草の赤い根。
「あかねさす」は、日の光で赤く色づく様子を形容していて、
紫にかかる枕詞となっています。

kaimurasaki

貝紫(かいむらさき)
赤みがかった紫。
巻貝の分泌液で染めた色で、古代フェニキアの都市で生産され、
特権階級の象徴として「帝王紫」という。

非常に高価な染料で、クレオパトラはローマ帝国に出向くとき、
エジプトの豊かさをアピールするため、船の帆を貝紫に
染めさせたそう。

貝の乱獲のため、今では幻の色になっています。
なぜなら、1匹の貝からとれる染料はごくわずかで、
1gとるのに貝100~1000個が必要、とのこと。

さらに、染料にするときは布の重さの10分の1が必要となるそう。
現代にあてはめて考えるとTシャツ1枚150gの布を染めるためには、
15gの染料、貝の個数は1500~15000個が必要となります。

貝の命をそのために奪っていたのですからねぇ。。。
貝さんゴメンナサイ。

弥生時代の遺跡 吉野ヶ里遺跡からは、
紫色に染められた絹糸が発見されています。
この紫は貝の色素で染めた貝紫です。

遺跡の発掘調査により、まだまだ今後も
新しい発見があるかもしれませんね。
楽しみにしたいところです。

飛鳥時代の色

飛鳥時代は聖徳太子が推古天皇の摂政になった時代。
仏教をじはじめ、中国文化が多く取り入れられていきます。
もちろん、色も例外ではありませんでした。

rokusyou

緑青(ろくしょう)

銅に生じる錆びの色。
孔雀石からつくる緑青色の顔料。
飛鳥時代に仏教とともに中国から伝わったという緑系の代表的な色。

turubamiiro

橡色(つるばみいろ)

橡(つるばみ)はブナ科のクヌギの古い名前で
実のドングリや樹皮を砕いた汁で染めた黒褐色です。

本来は灰汁(あく)媒染した茶褐色を橡色と呼び、
奈良時代には庶民の衣服に用いていました。

のちに鉄媒染した黒褐色(黒橡)が橡色と
呼ばれるようになりました。

shishiiro

宍色(ししいろ)

「肉色」や「人色(ひといろ)」とも呼ばれた
明るい橙色。

「宍」は「肉」の古語で、主に食用とされた
イノシシやカモシカなどの獣肉をあらわしていました。

また奈良時代中期の健康な乙女の肌色で、
仏像にもこの色が彩色されています。

syouennji

生臙脂(しょうえんじ)

奈良時代以前に中国から伝わった赤。
ラックカイガラムシから採取した赤色顔料を
綿に染み込ませて乾かしたもの。

奈良時代の色

仏教が浸透し、唐(中国)の都・長安をまねて
平城京がつくられました。

国の造りも制度も唐をまねて整えられた時代です。

はい、ここで登場です! 冠位十二階
603年に制定された日本初の人材登用制度は
6色2トーンの12色展開でした。
※(紫・青・赤・黄・白・黒)

出身によらず有能な人材を登用するための制度で、
紫色が最上位でした。

紫は当時、高貴な色と位置付けられていたことや
古代中国の天文学において紫微垣(しびえん)は
天帝(神)のいる場所とされていたことなどから
紫が最上位に選ばれたと考えられています。

そして、この後、何度か身分制度の色は変遷するのですが、
黄色が入っているのはこの時だけ。

中国では黄色は中心の色とされていますが、
日本ではその後採用されていません。

fukakimurasaki

深紫(ふかきむらさき)

紫根によって何回も染め重ねられた、
紫色の中で最も最も濃い色。

asakimurasaki

浅紫(あさきむらさき)

「延喜式」で定められた三段階の紫の中で、
最も明るい色です。

kariyasuiro

刈安色(かりやすいろ)

茶色がかった淡黄色。
「延喜式」では刈安染の黄色の深黄と浅黄は
無位の官人や庶民の服色とされています。
黄色系の伝統色のなかでは、もっとも古い色名のひとつ。

hanezu

朱華(はねず)

古代の色名の一つ。
黄色とする説や赤とする説、黄丹と同じとする説など
まだまだ謎の多い色です。

fukakihanada

深縹(ふかきはなだ)

「延喜式」にある最も暗い青。

asakihanada

浅縹(あさきはなだ)

縹色の中で最も浅く染めた色。
「薄縹(うすはなだ)」とよばれることも。
平安時代の朝服の中では身分の低い初位の色とされました。

byakuroku

白緑(びゃくろく)

「緑青」をつくるよりも、さらに細かく孔雀石を砕くことで
生まれた色です。

日本画の顔料で、奈良時代には仏像や仏画の彩色に重用されました。

niiro

丹色(にいろ)

「丹」はもともとは「赤い土」という意味で、
幅広い赤を指しましたが、現在は黄赤を意味します。

fukakihi

深緋(こきひ・ふかきあけ)

飛鳥時代から高貴さを表す色です。
深緋は茜草に紫草を上染するので、紫に近くなります。

「くろあけ」、「ふかあけ」などとも呼ばれ、
奈良時代から位階を示す当色(とうじき)として
明治2年まで用いられました。

asakihi

浅緋(あさきひ)

茜だけで染めた鮮やかな赤色です。

sohi

纁(そひ)

茜で染めた薄い緋色。
養老2年(718年)の僧尼令では、僧尼の着用する色と
定められています。

飛鳥時代、奈良時代の色を中心にみてきました。
当時の人が使っていた色に少し興味を持っていただけたでしょうか?
ここから時代が進むとさらに色が豊かになっていきます。
また改めて書いていきますね。

今日も最後までお読みくださりありがとうございました。

タイトルとURLをコピーしました