伊勢物語と多摩川 武蔵野 紫草さんぽ~後編~

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こんにちは、カラープランナーの かわべ みえ です。

ちょっと間が空いてしまいましたが、前回の記事 武蔵野 紫草さんぽ~前編~の続きです。

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紫とゆかり

紫と書いて「ゆかり」と読むの、
当たり前のように使っていますが、
よく考えると不思議な読み方、ですよね。

この言葉、実は伊勢物語からきているようです。

武蔵野は古くから、紫草の生える地として知られていて、
縁を結ぶことの象徴に、伊勢物語の中でも紫が描かれています。

゛むかし、女はらから二人ありけり。
一人はいやしき男の貧しき、
一人はあてなる男もたりけり。

いやしき男もたる、十二月のつごもりに
袍(うへのきぬ)を洗ひて、てづから張りけり。

こころざしはいたしけれど、
さるいやしき業も習はざりければ、
袍の肩を張りやりてけり。
せむかたもなくてただ泣きに泣きけり。

これを、かのあてなる男聞きて、
いと心苦しかりければ、
いと清らなる緑衫の袍を、見いでてやるとて、

むらさきの色こき時はめもはるに
野なる草木ぞわかれざりける
武蔵野の心なるべし。゛

↓ 意味は

二人の姉妹がいて、一人は身分が低く貧しい人を夫に、
もう一人は高貴な男を夫としていました。

身分が低く貧しい人を夫に持っている女が、
晦日の日に、翌日の新春の拝賀の儀式のための
上衣を洗い張りしていましたが、慣れないことで、
肩あたりを破いてしまい、悲しんでいました。

これを高貴な男が聞き、気の毒に思い、
立派な緑色の袍を見つけ、

むらさきで染めた色で濃いものは眼をみはるものですが、
野にあって草木と一緒に生えている時は、
紫草といってもそう簡単に区別がつくものではありません。

だけど、紫草があれば、そのあたりはその色に染まっていくように、
私たちも妻が姉妹ということで、縁があるのです。

と、そのわけを歌で表しました。

最後にある「武蔵野の心なるべし」は古今集に書かれている、
美しい紫草が一本ある、それだけのことで武蔵野の草が
すべていとおしく思われる、という一文から取られていて、

ゆかり(縁)は 関係・縁故・血縁という意味を表しますが、
この歌の内容から「紫のゆかり」、
縁(えにし)という意味で使われることとなりました。

今では、ごく普通に使われている「ゆかり」という言葉、
こんなところが由来にあったのですね。

染色との関わり 多摩川と調布

地名でも染色や布が扱われていたことがわかります。

現在の多摩川、昔は多麻川、と表されていました。

麻が多く自生し、川の水にさらして
布が織られていたことから「多麻川」と
呼ばれるようになりました。

江戸時代までは川で布をさらしていた記録が
残っているそうです。

そして、古代律令制の三種類の税(租庸調の調)、
(平たく言えば、昔の税金でその土地の特産物を納めるものが「調」)
その特産物の「調」として、朝廷に布を納めていたことから
「調布」という言葉が生まれました。

他にも幾つかの「調布」地名があったようです。

調布と書いて「たづくり」、「てづくり」とも読まれ、
現在、調布市内には布田(ふだ)、染地(そめち)など
布や染色にかかわる地名が残っています。

こうしてできた布を紫草で染め上げていたのですね。

その他にも染色や布を織っていたことの名残を
地名で見ることができます。

たとえば、麻布。 
麻生は苧(からむし)が自生し、麻を栽培し、
調布と同じように、布を府中に献上していました。
※府中とは、簡単に言うと昔のお役所です。

砧(きぬた)
世田谷区内にある地名で、昔、麻や苧(からむし)などの
皮を砧(きぬた)という道具で打って柔らかくし、
織物を織ったことから、その道具が地名で残っています。

紺屋町(こんやちょう)
千代田区内にある地名。
染物屋がたくさん住んでいたことが由来になっているそうです。
※紺屋とは、染物屋のこと。元は紅師 (紅染め) 、
紫師 (紫染め) と併せて染師、そめやなどと呼ばれていましたが、
紺染めがその大半を占めていたので、染物職人を総称して
紺屋というようになりました。

書いててよくわからなくなってきましたが(苦笑)、
染色や布に関しても、地名で残っていることが
少しわかっていただけたのではないかな?と思います。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

もう少しわかりやすくなるよう、
追記していきたいと思います。

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