武蔵野 紫草さんぽ~前編~

fujidana 色彩
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こんにちは、カラープランナーの かわべ みえ です。

以前から書きたいと思っていた、
「武蔵野 紫草さんぽ」。

「武蔵野には紫草が多かった」、
「地名に染色のことが残っている」
というようなお話をセミナーで聞いて、
「色」や「染色」に興味を持ちました。

そして、そんな話をそのエリアにお住まいの方にしたら
「ここにはこんな地名があるよ」なんて
教えてもらえたことで、さらに「面白い!」となりました。

日本全国、そんな風に文化が地名で残っているところを
歩いてみたいなぁと思ったのが最初で、歩くのは難しいけど、
ブログでそんな記事を纏めてみたら面白いかも、と
思ったところが始めです。

まだまだ調べることも多いので、
追記していく形にはなりますが、まずはスタートしてみます。

よければ一緒に、ブログ記事を通して
お散歩してくださいね。

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「武蔵野」ってどこ?

「武蔵野」という言葉は知っているけれど、
じゃあ、どのあたりなの?
と聞かれても答えられない。。。。

そもそも、どこなんだろう?

さっそく、調べてみました。
ウィキペディアでは、

「武蔵野の範囲について明確な定義はないが、
広辞苑によれば「埼玉県川越以南、
東京都府中までの間に拡がる地域」であり、
また広義には「武蔵国全部」を指すこともあるとされる。
またたとえば、江戸後期に出版された『江戸名所図会』は、
「南は多摩川、北は荒川、東は隅田川、
西は大岳(だいがく)・秩父根を限りとして、
多摩(南多摩を除く)、橘樹、都筑、荏原、豊島、
足立、新座、高麗、比企、入間等すべて十郡に跨る」
と解説している

とありました。

関西人の私には地理感覚がなさすぎて、
イマイチはっきりとわからないけれど、
相当広い範囲ですよね。

「紫草」ってなんだ?

タイトルにも使っている「紫草」。

ムラサキ科の多年草で、
5月末から6月にかけて白い花を咲かせます。

現在では、残念ながら、自生する紫草を
見ることは極めて難しいです。

そして、この紫草の根、
紫根から紫色を染め上げます。

紫草は環境の変化に大変敏感で、稀少かつ高価でした。
そういうところから、貴族であっても
高い身分の人しか身につけることができなかった色です。

昔の人たちが「紫」を高貴な色と考えたのは、
なかなか手に入らない色だから、というところも
理由の一つだと思います。

稀少かつ高価な植物染料の紫根染の衣裳を
纏える貴族は、権力財力ともに超一流、

高価でなかなか手に入らないもの
→ 富と権力の象徴、だったのです。

今も昔もそのあたりは同じですね。

そして、今の世の中は、あらゆるものに
既に色がついているのが当たり前、ですが、
昔、例えば1000年前の平安時代、
色は「染めるもの」でした。

繊維を染めるものが染料。
その最高峰ともいえる染料が
「紫草」だったのです。

そして、現在の東京・武蔵野は、古くから
紫草の生える土地として知られていました。

紫草についてはコチラにも書いています。
よければ、あわせてお読みください。

源氏物語と紫

fuji

源氏物語は、「紫式部が書いたから紫色が多い」
と思われていることが多いですが、
「紫式部」という名前は、周囲から
ニックネーム的につけられた名前と言われています。

式部丞・藤原為時の娘であることから、
「藤式部」と呼ばれていましたが、

「紫のゆかりの物語」である、
「源氏物語」を書いたことから、
「紫式部」という名前で呼ばれるようになりました。

源氏物語では「紫」が核となっていますが、
「若紫」という帖では、その紫が
絡み合っていく様が
描かれています。

「若紫」とは、春に萌え出た紫草のこと。

この帖は、光源氏が、のちの妻となる少女時代の
紫の上と出会う場面から始まりますが、
並行して光源氏と中宮・藤壺の切ない逢瀬も語られます。

そして、その作中にちりばめられているのが、
光源氏が詠んだ「紫草」にまつわる和歌です。

「手に摘みて いつしかも見む紫の 根にかよひける野辺の若草」
~この手に摘んで、紫草(藤壺)の根にゆかりのある
野辺の若草(紫の上)をわがものにしたい~

ここに詠まれている「紫」は中宮・藤壺を指しています。
藤壺の姪にあたる紫の上は、根が一緒であることから、
せめて藤壺の代わりに手元に置きたいという、
光源氏の思いが垣間見れる歌になっています。

そして、その後、光源氏は、少女紫の上を迎え入れ、
自邸で手習いなどを教えて育て上げます。

その時の描写に、「紫の紙」に光源氏の詠んだ和歌が
書かれている場面があります。

「ねは見ねど あはれとぞ思ふ 武蔵野の 露分けわぶる 草のゆかりを」
~まだ(少女と)共寝はしていないけれど、いとしくてたまらない。
武蔵野の露を分けても会えない紫草(藤壺)のゆかりのひとだから~

ここでの「ね」は「根」と「寝」にかかっています。

古くから紫草の生える土地として知られていた武蔵野。

古今和歌集の
「紫の一本ゆゑに武蔵野の 草はみながらあはれとぞ見る」
という歌から、
「武蔵野と言えば紫草」と連想されます。

まだ少女の紫の上と、根のつながる「紫草」の藤壺。
藤壺に思いをはせる光源氏の苦悩。

光源氏は生まれて間もなく、
実母「桐壺」の更衣を亡くしています。
桐の花は紫色をしています。

源氏はずっと母の面影を追い続けます。

実母に瓜二つと言われる義母の中宮「藤壺」。
藤の花も紫色です。

藤壺の面影を見つけて引き取ったのが、
紫色を名に持つ、藤壺の姪「紫の上」。

源氏物語は「紫」の物語、と言われますが、
物語の中で「紫」が、いかに重要な役割を
果たしているのか、主要な登場人物に与えられた
名前と花の色からよくわかります。

源氏物語の色のことは
改めて記事にしたいと考えています。

長くなってしまいましたので、後編に続きます。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。

→ 後編

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